江原啓之が語るスピリチュアリズム
江原啓之氏のスピリチュアルとは占いではありません。
詳細は下記を参考にしてください
スピリチュアリズムの始まりは、1848年、アメリカのハイズビューという村にあった一軒の家で起こったポルターガイスト事件です。
その家には幼い姉妹がいました。頻発するラップ現象の中で、彼女たちはあることを思いつきました。
ラップを使ってオバケと話そうというのです。
「オバケさん、もし本当にいるのなら私が手を1回叩くから、同じ数だけ叩いてね」
そう言って手を叩くと、「ピシッ」と答えが返ってくる。
2回叩くと2回ラップ音がする。
こんな具合に霊界との交信は始まったのです。
それが次第に高度になり、アルファベットをたどりながらの交信までできるようになったのです。
幼い彼女たちのアイデアは人類が偉大なプレゼントを受けとる最初の一歩をつくったのでした。
その交信の結果、そのオバケの正体はチャールズ・ロスナーと名乗る行商人で、かつてこの家の住人に殺され、家の地下に埋められていることがわかりました。
当時、科学のメッカといえば英国でした。
そこで英国の科学者たちがこぞってこの村の調査に入ったのです。
その中には、作家のコナン・ドイルもいました。
(日本で話題になった妖精映画「フェアリーテイル」の中にも彼が登場しましたが、
この物語は実話なのです。)
その後もその不思議な現象は英国でさらに研究されました。
その研究所は当時ケンブリッジ大学にあり、研究者としてタリウム元素の発見者である
ウィリアム・クックスやノーベル賞を受賞した生理学者シャル・リシェなどが名を連ねていました。
彼らは、この頃誕生したミーディアム(霊媒)を使った実験で、さまざまなスピリットとの交信に成功しています。
特にこの時代はエクトプラズムとして出現したスピリットとの対話が盛んでした。
これらの研究によって彼らはスピリット、スピリチュアル・ワールドの存在を確信するにいたったのです。
それから、私たちがなぜ生まれて生きるのか、本当の幸せとは何かという真理を探究するようになったのです。
これは人類にとっての偉大な福音となりました。
これらの霊交による思想をスピリチュアリズムと呼ぶようになり、私のようにその思想に従い、生きる者をスピリチュアリストと呼ぶようになったのです。
1848年に起こったポルターガイスト事件は単なるオバケ騒動ではありません。
私たちに霊性の目覚めを起こすためのスピリチュアル・ワールドからのメッセージだったのです。
この150年にも及ぶ流れは現在まで連綿と続いています。
コナン・ドイルも会長を務めたSAGB(英国スピリチュアリスト協会)は現在もあり、私も会員です。
スピリチュアリズムをさらに研究するため英国へ留学したときも、このSAGBで特に多くのことを学びました。
また、英国にはカレッジ・オブ・サイキック・スタディーズといったスピリチュアルの学校もあり、その他ヒーリングの団体も多数あります。
ヒーラーは1万人以上います。
その中の一つで世界中に会員を持つWFHという連盟に、私も所属しています。
そこに入会するには、各団体でレクチャーを受け、いくつものテストにパスしなければなりません。
英国のスピリチュアリズムはそれほどアカデミックなのです。
英国ではスピリチュアリズムが広く認知されていますが、その理由の一つとして英国王室がこの分野にとても造詣が深いことがあげられます。
現在の私のスピリチュアリズムは、英国で学んだこのスピリチュアリズムの土台をもとに、自分のインスピレーションによって得たスピリチュアル・ワールドからのメッセージを加えたものです。
日本はもともと精神性の高い国です。
これからは日本が精神性の高い生き方を示して世界をリードしていかなければなりません。
WHO(世界保健機構)も、人間の健康の条件の中に「スピリチュアル」という言葉を加えました。
日本ではその言葉をどう訳すか議論されています。
なぜなら、一番的確と思われる「霊性」という言葉を用いれば「霊(たましい)」を認めざるをえなくなるからです。
「非科学的」だとして、スピリチュアルな世界を信じようとはしなかった人々も、変わらざるをえないような状況になりつつあります。
日本をはじめ、世界は今、新たなる「心の夜明け」を迎えようとしているのです。
江原啓之公式サイトより抜粋
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